人は地から離れては生きられない

なにかあったような気がした

思い出さず

 生徒指導の教師を思い出していた。あの高校は地方では有数の進学校(といっても都心部と比べればたいしたことはない)で生徒と教師からはよい家に生まれよい親に育てられよく生きてきたという自負や余裕があった。それは傲慢といってもいいものかもしれない。彼はそういう人間というより、地方の空気を濃く感じさせるタイプの教師だった。当時の経歴や教務室の空気から察せられるに順当な昇進コースとはいかなかったのだろう。それでも彼は一生懸命だった。すでに珍しくなっていた熱血漢で、生徒から持ち掛けられる相談や質問についてはそれが担当教科でなくとも熱心に応対していた。「わが校における自由、その歴史」という題で数日間の会議に出席してもらったことさえある。

 

 ただ彼は僕よりも早く高校を去ることになる。飲酒運転による事故を起こし、退職を迫られた。噂では運転手をしていたらしい元教師を生徒たちはあざ笑い、蔑んだ。自分たちはあんな奴とは違う。よい人生を歩むためよい大学へ行きよい会社に勤めよい地位を得るのだ。そうした人生観を共有し、確認するためのコミュニケーションだった。僕はといえばそのころにはもうまともに通学していなかったし、成績も落ちぶれ指導のため呼び出される日々だったので積極的に同調することはなかった。できなかったというべきかもしれない。彼らの多くは相変わらずの人生観で相応の人生を生きているようだが、何人かはそうではない。ある者は疲れ果て、ある者は敗れ去り、ある者はいなくなった。

  

 社会について考えると、思い出すことがある。誰かを貶し笑っていた過去の自分がいつか首を絞めにくる。よくある話だ